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漫録

2007年06月14日

平成19年06月14日
ただ、「一連のコピペ動作を[ZXCVB]と並べた方がスマート」というOperaの考えが見えたので、それに従った。繼眞が「どうしても馴染めない」キーバインドがどれかわかんないけど、それにもやっぱりOperaなりの考えがあってのことだろうと思う。
初めに斷つておきますと、「永遠の初級者」は吾ではありません。吾は「使つてゐる人」と書きました。この邊、氣にして書いてゐます。『Opera 9.x 用正字正假名言語ファイル』を公開してゐることが傍証となるでせう。「8」使ひなら「9」の言語ファイルなど要りませんからね。吾は寧ろ「信者」に近い人間です。もつと言ふと、「Operaを布し難い」から書くのであります。
さて。「永遠の初心者」とはせず、「初級者」を用ゐるには訣があります。「初心者」と「初級者」と、双方の最大の違ひは、初級者が「既存の操作それ自體には慣れてゐる」點です。「永遠の初級者」がショートカットキーを知つてゐるのは、ショートカットキーと云ふものが「ある」と、「偶々」はつたから知つてゐるに過ぎません。いやいや、Operaを使つてゐる事自體が「偶々薦められたから」なのです。モジラを先に薦められてゐたら、モジラを使つてゐる人逹です。IEよりかは増しなので今更戻りませんが、「Opera信者」な訣でもありません。
更に。てらじさんにしても然うでせうけれど、中級者は設定を變へることに然程の負担を覺えないでせう。しかし、渠等は基本的に「與へられたものをそのまま」使ふ人達です。「便利な機能が他にもないか」と探したりはしませんし、極端な話、設定すらしません。しても、スキンを變へるとか、その程度です。勝手にチョして動かなくなつたら困るからです。「永遠の初級者」は(好むと好まざるとにかゝはらず)、この意味では、かなり「保守的」なのです。「永遠の初級者」が「中級者」と呼べない所以です。
思いっきり憶測で「ソース=脳内」なんだけど、多分Operaも相当悩んだと思うのな。
つまりOperaが「振り落とし」をやるのは、(中略)古い「しがらみ」に対してだと思うのだ。で、どうしてもなじめない人は[keyboard.ini]書き換えてね、って感じ。
「信者」や、さうでなくとも中級者なら當然氣附くであらう「Operaの考え」なんか、知つたこつちやありません。「ユーザは慣れでインタフェイスを使ふ。」「インタフェイスの變更は使ひ勝手を惡くする。」「インタフェイスの變更は。」といふ三段論法を平氣で使ふ「自分勝手で我侭」なユーザそのものなのです。初心者なら「使ひ難い」と云つて、切り捨てるだけです。吾人に察せられる「Opera社の努力」は、渠等にとつて單に「會社の都合」──「リモコンが無くては全ての操作が出來ないヴィディオデッキ」と大差ないもの──に過ぎません。「「Opera9が重い」ことと、「Opera10」の話は「しないように」って言おうかと思ってた。」だけあつて、てらじさんは物分りがいゝのです。ですが、てらじさんも氣附いた通りに(吾を含めて)ユーザは然う物分りの良い人逹ばかりではありません。假に氣附いたとて、「使ひ熟さう・"より"便利に使おうと思はない人」が「乘る」とは惟へませんし。
棄てられもせず、書換へも出來ぬ。爲に「8」に甘んじる──「永遠の初級者」愍れ。
もちろん互換性は大事。こんな重要変更を黙ってやるのはイクナイよな。その辺ちゃんとしつつ、より良い操作性のために古いモノを「振り落とす」ならワシは支持する。
「振り落とし」てゐる時點で、互換性の維持を放棄してゐます。互換性を言ふなら「振り落とし」ては爲りません。過去へ向いたベクトルの互換性は、過去の柵からユーザを掬ふ爲にあります。柵を斷切るのは「革命」であります。が、革命なんぞ無いはうがいゝに決つてゐます。まして相手は「保守的」の聯中です。「より良い操作性を」と云ふのなら、一度「操作性」を與へられた人にとつては、その與へられた「操作性」を元に培つた「操作方法」が、「より良い操作性」です。人は「せつかく培つた」ものを手離せと言はれるのを疎います。キーバインドに限らず、仕様變更は、互換性の觀點からは總て惡です。
ヴァージョンアップと謂ふなら機能強化やバグの修正に留めるべきです。仕様變更をするのなら、一層のこと別のアプリケーションにするか、さもなくばスレイプニルのやうにUIを保存すべきです。(少くともヴァージョン 2.30の時點ではさうなつてゐます。)「8」から「9」への時のやうにちまちまやるのは「嫌がらせ」ですらあります。
キーバインドに喩へれば、iniの書換へで済むのなら、それは事前に用意してインストール時に選択できるやうにし、設定からでも他とは分け、平易に變へられるやうにしておく、と云ふやうな措置を取るべきでした。制作者が單一の選択肢しか用意しては行けないと言ふことはないはずです。
付け加へれば、互換性には未來へ向いたベクトルもあるのでして、仕樣變更をするのは未來へ向けた互換性の輕視に由りませう。
過去と未来とを繫ぐ互換性は、一聯のプログラムとしての「Opera(シリーズ)」を保証するものになります。
附記
余談。
吾の用ゐてゐる假名遣ひは歴史的に正統性のある假名遣ひ(略記:歴史的假名遣ひ・正假名遣ひ、或は單に假名遣ひ)です。「旧仮名遣い」(定家の假名遣ひや契沖の假名遣ひの類)は遣つてゐません。

別記

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