漫録

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2007年01月31日

平成19年01月31日
山本史也『さまがくれた漢字たち』とジャン=ミシェル・アダン(末松壽、佐藤正年譯)『物語論──プロップからエーコまで』の二冊を買つた、と書くのをすつかり忘れてゐた。──9冊。
同じ日に松田忠徳『大相撲 大變』を讀了。買つたのは客年。何箇所か讀んでゐて氣持ちが惡くなる處(妄想想像を根拠に論を進める處)が目立つ。敢へて云へば附章が一番真面か……駄目ぢやんか。全く樂しめない訣ではない(通算勝率の話とか)けれども、御薦め出來ない。
それから今日、野志隆光『古事記と日本書紀 「天皇話」の歴史』を讀了した。これも客年買つた。話學の本といふ積もりで買つたのだけれども、文學史の本だつた。著者は「書いてあることをその儘讀む」といふ基本に忠實な讀方をした結論として、『古事記』と『日本書紀』とを「別の話」として扱ふ。第八章の冒頭で歴史的概觀が示されてゐるので、そこだけを先に讀み改めて本文を讀むと流れは摑みやすいのではないかと思つた。素つ飛ばしてゐる感を覺える人もあらうかと思ふが、これ以上込み入ると囓つただけの人には「讀めない」ものに爲るだらうから丁度良いと思ふ。まあ「入門」程度に、と云ふところでせうかね。さうさう。個人的に「記紀」に關する認識を改める必要が出て來たといふ事を記して置かう。──9冊。

別記

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