漫録

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2006年08月31日

平成18年08月31日
西尾維新『ニンギョウがニンギョウ』を讀了。世評は惡いやうだが、それほど非道くはない。が、良きにつけ惡しきにつけ人を選ぶ小説だとは思ふ。個人的には御薦め。高価だと思つたなら買はない方が好いんぢやないですか。
夢路を、夢現のまゝ辿り続けてゐるやうな按配か。多分、假に何か知らの意圖が「ある」のだとしても、それを解つて貰はうとは考えてゐないのだらう。或は、敢えて覺られないやうに書いてゐる節が、ある。吾には其れが何であるか迄は判らないし、ぜんたい其れが「ある」と云ふ假定自體根拠のないものである。──余談ですが、レトリックだけでも結構樂しめると思ひます。
(噂では純文學とのことだけれども、「きつちりとした一人称の常體文」なのでさう云ふ印象があるだけぢやらう。これが「詩」だとすればまあ純文學と言へない訣でもないのだらうが、取敢ず著者が小説だと云つてゐる限りに於て吾は、『ニンギョウがニンギョウ』は純文學ではない、とする。)
「何も知らぬ愚かなモノに言はせれば、それはうんざりするやうな薄着の泥仕合であるのかも知れない。いゝだらう、言ひたいモノには言はせておき、笑ひたいモノには笑はせて置けばよい。それは緑の純文學の下らなさである。」
此文章が書けるのだから著者は正氣(自覺済み)だらう。──78冊。

別記

りそーすの情報
広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。