漫録

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2006年06月28日

平成18年06月28日
「出來る人」ではない「普通の人」が、「出來る人」と同じ働きをするには「出來る人」以上に働く必要がある。今の日本の企業は「出來る人」を基準に考へてゐるから「普通の人」はサーヴィス殘業でもするしか、手がない。「普通の人」は企業にとつて「出來ない」人である。世の中には「普通の人」以上の「出來ない人」が──渠等が本當に「出來ない人」なのだが──ゐる。「出來ない人」はサーヴィス殘業をしても「普通の人」並みの仕事しかできない。「普通の人」はサーヴィス殘業をしてやつと「出來る人」並みの仕事が精一杯だから、そのツケは「出來る人」に回る。幾ら「出來る人」でも、他人の仕事を背負ふに至るので、必然時間が足りなくなる。是れでめでたく全員がサーヴィス殘業をすることになる。多くの日本人は「付合ひ」から逃れ得ない。「逃」げ仰せても「村八分」が待つてゐる。
企業が高望みを止めればサーヴィス殘業は減る(、無くなると云ふ事は無い)だらう。それをすると「負ける」事が解つてゐる。即ち「資本主義」が許さない。日本には個人主義が確立してゐないから、紛ひ物の「資本主義」にすら對立する手立てがない(「兆し」は見えてきてはゐるが本質的解決を為し得るに至らない)。「だから」と云つて「資本主義」を止める訣には行かない。情報にこそ「自然淘汰」が當て嵌るならば、經濟の原理に於ては資本主義が筆頭で、その物真似である「資本主義」も他の原理よりも幾分増しだからである。取敢ず、未だ當分は「資本主義」でやつて行くしかないのである。サーヴィス殘業は減らない。

別記

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