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漫録

2006年06月06日

平成18年06月06日

もし、語学というものが語彙の勉強にすぎないもの、すなわち、それらを表す文字や音の勉強だけのものであるなら、そういう勉強も子供に適するかもしれないと、わたしは思う。ところが、言語というものは、記号を変えればそれと同時に、表現する観念までも変えてしまうものである。頭脳は言語にもとづいて形成され、思想精神は国語に応じてそれぞれの国語の色を帯びる。理性のみは共通のものであるが、精神は国語に応じてそれぞれ特有の性質を持つ。この相違は、一部分、国民性の相違の原因ともなり得、また、その結果である場合もある。

ルソー(永杉喜輔 宮本文夫 押村襄 譯)『エミール(全譯)』

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