「周りへの配慮を欠く歩行者」は、迷惑するのが個々人なのでetiquetteの範疇だらう。「一人」用のエスカレータで追越さうとするのはmannersが身に付いてゐない人。
「人の渋滞」を起こしてゐるのは日本人の習性に據る。「呪縛」を逃れられないのだから、山本武史は「同罪」。また、「渋滞」してゐるにも關はらず階段を使はないのは横着のなせる業。吾はエスカレータが「使へない」時には好んで階段を使ふから、そんなことで一々不満を覺えることがない。
急ぐ人のためにエスカレーターの片側を空けるのが「常識」のようになったのはいつごろだろう。欧米から持ち帰られた習慣らしいが、よくは分からない。
安全上は勧められたことではないし、急ぐのを当然の権利のように振る舞って周りへの配慮を欠く歩行者もいる。
そして最近よく目にするのが、駅のホームなどのエスカレーターで、皆が律義に片側1列でしか乗らないために起きる、人の渋滞だ。運べる人数が半分なのだから当然で、こんな時は2列でどんどん詰めて乗ってしまったほうが早いはずだ。分かっていてもそうはいかなくなるのは、「片側ルール」の呪縛のなせるわざか。
そういう私も呪縛の例外ではなく、右側(地域によっては逆のことも)には立ちにくい。さりとて人波がはけるのを待つのも面白くない。「臨機応変」という言葉が浮かんでくるが、皆が柔軟に対応するのも、口で言うほど簡単ではないだろう。
仕方なく、私は人込みを抜け出してガラ空きの側をとぼとぼと歩いて上る。【山本武史】
毎日新聞 2006年4月19日 東京夕刊