漫録

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2007年06月28日

平成19年06月28日
「從軍慰安婦」の話。

千九百十年から千九百四十五年の間、双方が合意した上で、朝鮮半嶋は大日本帝國と合併することにした。
大日本帝國では賣笑行爲は合灋であつた。
朝鮮半嶋から日本へ、出稼ぎの賣笑婦が來るのには、何も問題が無い。
賣笑を経営してゐたのは民間企業であつて大日本帝國の政府や軍等ではない。
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2007年06月27日

平成19年06月27日
何だかんだ言つて毎日本を讀んではゐるけれど、讀了に至らないのは何故だらう。──さうか、一度讀掛けた本をしまつたり片付けたりする必要が出て來るからか。部屋を掃除して「御藏入り」になつた本つて結構あるからなー。それと最近は一時間以上の讀書をしないのも原因だらう。

2007年06月26日

平成19年06月26日
運命(destiny n.
暴君が惡事を行ふときに利用する典拠、愚者が失敗をしでかしたときに持ち出す口實。
アンブローズ・ビアス著『惡魔の辭典』

2007年06月25日

平成19年06月25日
一冊讀了。去年買つた本。──30冊。
平成19年06月25日
羯諦 羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。
『摩訶般若波羅蜜多心』は結局、之を唱へるだけでよい。吾が言つてゐるのではない。前段にさう述べられてゐる。

2007年06月24日

平成19年06月24日
覺え書き。
ボールペンを無くさずにインキを使ひ切るこつ +Alpha
使ひ方。インクの殘量を氣にする──これだけで、吾は使ひ切れるやうになつた。使ひ切つたリフィルは保存して置く。
紙に書附ける際は特別の事情がない限りこれを用ゐる。インキは使へば案外簡單に減る。
選び方。インキ殘量の判るもの、詰り透明亦は半透明の軸を選ぶ、これは必須條件。初めはリフィルの短い物を選ぶ、使ひ切る經驗をする爲。リフィルが短いのはノック式に限られるだらう。後は試し書きをして、使ひやすいと思ふものを選んだらいゝ。試し書きで癖が判らなければ、數本買つて使ひ較べ、良い軸とリフィルを探してみるのも手。
軸がメジャーでない限り、氣に入つた軸を見つけたら、製造中止を回避するために買い置きしておくのが望ましい。
基本的に持ち出さないやうにする。
餘談。コクヨのシリーズのボールペンが御薦め。仕事では三角軸の白色を使つてゐる。白色ならリフィルが殘量が透けて見える。三角軸は短指の吾には少く太い感がある。クリアラバーグリップを扱つてゐるところが見つけられないのだけれども、見つけたら乘替へるかも知れない。

2007年06月23日

平成19年06月23日
厭世觀(pessimism n.
見えすいた希望と見苦しい微笑とを特徴とする樂天主義者が、うんざりするほどのさばり返つてゐるところから、その樣を眺める者の確信の上に、否も應もなく押しつけられる人生觀。
アンブローズ・ビアス著『惡魔の辭典』

2007年06月22日

平成19年06月21日
口腔内の肉を噛んでしまふ。具體的には右の頰の内側と、左の糸切り齒の附近。ガムを食むことが多くなつたからかなあ。

2007年06月21日

平成19年06月21日
『うるるん滯在記ルネサンス』、「ルネサンス」と謂ふより「レヴォリューション」では? んで、スタヂオでの質が下がつた。御笑ひ藝人使ひすぎ。

2007年06月20日

平成19年06月20日
Wiiリモコンはもつと十字キーと+-ボタンともつとを活用すれば、操作が格段に樂となる筈。Wiiのポインタはマウスほど優秀ぢやないのだし、用途がないのだから使ふやうに作れなんだのか、「勿體無い」ことで。殆どがマウスの樣なカーソルでポイントし、Aボタンで選ぶ、といふ操作なのだけれども、一々面倒なのだよ。名前の入力とか、目的の文字だけでなく周りの文字を入力して仕舞ふことがあつて結構苛つくのだけれども、ゲームで文字を選ぶときの操作は十字キーでフォーカスを移動するのが基本なのに何うして十字キーでフォーカスを移動できるやうにしなかつたのだらう。他にも、十字キーでフォーカスの移動が出來れば、Wiiポイントの決濟時にあんなにも氣を遣はなくて濟むだらう。マウスでも時々全く正叛對の選択肢がある隣のボタンを押しさうになつたり、時には押したりすることがあるけれどもそれと同じ危懼がある。PCで指摘されてゐる危懼を回避しようとしないのは怠慢だと思ふ。といふか、設計段階でのバグとも謂へるぢやないか、これ。
そこまで行かなくとも有つて欲しいのがスクロール時の十字キー操作。上下しか使つてゐないけれども、「左右」にページ毎の移動を加へれば、閲覧性が向上するだらう。この時、「+」「-」でフォーカスの移動が出來れば尚ほ良い。
──といふようなことは當然實裝されてゐると思ひ込んでゐて、いざ操作しようと思つたら出來なかつたので當て付けに書いたのだけれども。……ゲーム會社にはUIの專門家がゐないのかねえ。解つた上で遣つてゐるなら吾にとつては厭がらせでしかない。

2007年06月17日

平成19年06月17日
Wiiを買つた。
後、本を三冊。ALI PROJECTはWikipediaに記載がないのが可怪しいくらゐ、文藝作品から構想を得た作品がある。『赤と黒』『戰爭と平和』『未來のイヴ』『嵐ヶ丘』『地獄の季節』等がそれで、題名は知つてゐるけれども讀んだことのない作品ばかりなので、切掛けにして讀んで行かうかと思つた。取敢ず、ランボオ『地獄の季節』を、入手だけはしておいた。ところで、詩集なんて讀むのか、吾? ──30冊。

2007年06月16日

平成19年06月16日
「正しさ」と「面白さ」を對立させてゐる人があるけれども、吾の場合兩者は一致してゐる。本當に面白いものは「正しさ」の中にあると信じてゐる。

2007年06月14日

平成19年06月14日
ただ、「一連のコピペ動作を[ZXCVB]と並べた方がスマート」というOperaの考えが見えたので、それに従った。繼眞が「どうしても馴染めない」キーバインドがどれかわかんないけど、それにもやっぱりOperaなりの考えがあってのことだろうと思う。
初めに斷つておきますと、「永遠の初級者」は吾ではありません。吾は「使つてゐる人」と書きました。この邊、氣にして書いてゐます。『Opera 9.x 用正字正假名言語ファイル』を公開してゐることが傍証となるでせう。「8」使ひなら「9」の言語ファイルなど要りませんからね。吾は寧ろ「信者」に近い人間です。もつと言ふと、「Operaを布し難い」から書くのであります。
さて。「永遠の初心者」とはせず、「初級者」を用ゐるには訣があります。「初心者」と「初級者」と、双方の最大の違ひは、初級者が「既存の操作それ自體には慣れてゐる」點です。「永遠の初級者」がショートカットキーを知つてゐるのは、ショートカットキーと云ふものが「ある」と、「偶々」はつたから知つてゐるに過ぎません。いやいや、Operaを使つてゐる事自體が「偶々薦められたから」なのです。モジラを先に薦められてゐたら、モジラを使つてゐる人逹です。IEよりかは増しなので今更戻りませんが、「Opera信者」な訣でもありません。
更に。てらじさんにしても然うでせうけれど、中級者は設定を變へることに然程の負担を覺えないでせう。しかし、渠等は基本的に「與へられたものをそのまま」使ふ人達です。「便利な機能が他にもないか」と探したりはしませんし、極端な話、設定すらしません。しても、スキンを變へるとか、その程度です。勝手にチョして動かなくなつたら困るからです。「永遠の初級者」は(好むと好まざるとにかゝはらず)、この意味では、かなり「保守的」なのです。「永遠の初級者」が「中級者」と呼べない所以です。
思いっきり憶測で「ソース=脳内」なんだけど、多分Operaも相当悩んだと思うのな。
つまりOperaが「振り落とし」をやるのは、(中略)古い「しがらみ」に対してだと思うのだ。で、どうしてもなじめない人は[keyboard.ini]書き換えてね、って感じ。
「信者」や、さうでなくとも中級者なら當然氣附くであらう「Operaの考え」なんか、知つたこつちやありません。「ユーザは慣れでインタフェイスを使ふ。」「インタフェイスの變更は使ひ勝手を惡くする。」「インタフェイスの變更は。」といふ三段論法を平氣で使ふ「自分勝手で我侭」なユーザそのものなのです。初心者なら「使ひ難い」と云つて、切り捨てるだけです。吾人に察せられる「Opera社の努力」は、渠等にとつて單に「會社の都合」──「リモコンが無くては全ての操作が出來ないヴィディオデッキ」と大差ないもの──に過ぎません。「「Opera9が重い」ことと、「Opera10」の話は「しないように」って言おうかと思ってた。」だけあつて、てらじさんは物分りがいゝのです。ですが、てらじさんも氣附いた通りに(吾を含めて)ユーザは然う物分りの良い人逹ばかりではありません。假に氣附いたとて、「使ひ熟さう・"より"便利に使おうと思はない人」が「乘る」とは惟へませんし。
棄てられもせず、書換へも出來ぬ。爲に「8」に甘んじる──「永遠の初級者」愍れ。
もちろん互換性は大事。こんな重要変更を黙ってやるのはイクナイよな。その辺ちゃんとしつつ、より良い操作性のために古いモノを「振り落とす」ならワシは支持する。
「振り落とし」てゐる時點で、互換性の維持を放棄してゐます。互換性を言ふなら「振り落とし」ては爲りません。過去へ向いたベクトルの互換性は、過去の柵からユーザを掬ふ爲にあります。柵を斷切るのは「革命」であります。が、革命なんぞ無いはうがいゝに決つてゐます。まして相手は「保守的」の聯中です。「より良い操作性を」と云ふのなら、一度「操作性」を與へられた人にとつては、その與へられた「操作性」を元に培つた「操作方法」が、「より良い操作性」です。人は「せつかく培つた」ものを手離せと言はれるのを疎います。キーバインドに限らず、仕様變更は、互換性の觀點からは總て惡です。
ヴァージョンアップと謂ふなら機能強化やバグの修正に留めるべきです。仕様變更をするのなら、一層のこと別のアプリケーションにするか、さもなくばスレイプニルのやうにUIを保存すべきです。(少くともヴァージョン 2.30の時點ではさうなつてゐます。)「8」から「9」への時のやうにちまちまやるのは「嫌がらせ」ですらあります。
キーバインドに喩へれば、iniの書換へで済むのなら、それは事前に用意してインストール時に選択できるやうにし、設定からでも他とは分け、平易に變へられるやうにしておく、と云ふやうな措置を取るべきでした。制作者が單一の選択肢しか用意しては行けないと言ふことはないはずです。
付け加へれば、互換性には未來へ向いたベクトルもあるのでして、仕樣變更をするのは未來へ向けた互換性の輕視に由りませう。
過去と未来とを繫ぐ互換性は、一聯のプログラムとしての「Opera(シリーズ)」を保証するものになります。
『平成19年06月14日』の附記を表示する。

2007年06月12日

平成19年06月12日
上級者・初心者、障害者・健常者、PC・ケータイ・ゲーム機ユーザー。全ての人に使いやすいインターネット環境を提供する。「Operaを全てのデバイス、全ての人に」これこそがOperaのポリシーであり、絶対に譲らない点なのだ。
Operaは「8」から「9」にヴァージョンアップする際、「キーバインドの變更等、ローカルだけれども操作上重要な變更を(こつそりと)行ひ乍ら、互換性を無視した」と言ふ「前科」があります。この「前科」による障碍は慥かに在りまして、「8」以前からの利用者で「永遠の初級者(使ひ熟さう・"より"便利に使はうと思はない人)」逹の中には、「9」にどうしても馴染めず、今だに「8」を使つてゐる人が居るのです。これは使つてゐるのだから未だしも増しな例で、「8」が無料化したから乘替へたけれども「9」で切り捨てられたと感じた人にはOpera自體を使はなくなつた人は少なからずゐるでせう。方便として──見た目として「全部入り」でなくとも──「8」以前の操作性が再現出來るやうになつてゐれば、「ヴァージョンアップで振り落とす」事態には陥らなかつたはずです。
殘念なことにOperaはメジャーヴァージョンアップをする度に「振り落とし」をやります。程度の差こそあれ、Fxと惡い處が似てゐます。上掲の言がOperaのポリシーであるならば、テッちやんには是非互換性の重要を認識して頂きたう存じます。

2007年06月06日

今日までに三冊追加。一冊讀了。──27冊。

2007年06月01日

……吾は何も出來ませんでした。今も他人任せです。ですけれども、声援だけは送らせて下さい。

別記

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