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漫録

2006年05月31日

平成18年05月31日
『平成教育予備校』に據れば、基本となる漢字を合はせて或漢字を作ると云ふ作業をさせる客觀テストがあるのだと云ふ。漢字の「ジグソーパズル」である。こんな物で、どうして勉強が出來るか否かを判斷出來ると云ふのだらう。「頭の體操」ならわかるけれども。
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2006年05月30日

平成18年05月30日
So-net blog:新しさが好き!-Creative Thinking-:マスコミの面の皮が厚すぎることについて
新聞は「然う言ふもの」だから、怒つても詮無い。いや、解りますけれどもね。
『平成18年05月30日』の附記を表示する。
平成18年05月30日
ウェブに於ける「發言」は全て「マス」に向いてゐる──個人へ向けた發言でさへ、である。マスコミ(團體)と個人が、同列に扱はれる場所が、WWWでありインターネットである。或は斯うも言へやう。インターネットがマスメディアであるなら、吾人は「マスコミ」である。──「マスゴミ」と書く人が、限つて「自身が含まれる」と云ふ「反省の念」を有たないのは何を示唆してゐるのだらうか。吾には「マスゴミ」と云ふ揶揄を安易に使ふ氣が知れない。
平成18年05月30日
一昨日(28日)のこと。4冊買つた、1冊貰つた。呉れたのは初て行つた古書店の小母さん。其處では2冊買つた。──61冊。

2006年05月28日

平成18年05月28日
核兵器全廃が爲るって、どうして思へるのだらう。喩へば、今から1年後に世界中の核兵器を全廃できたとして、ぢゃあ、その1年後(詰り2年後)には一體何れだけのが核兵器を保有してゐないだらうか。「自國以外は假想敵國」といふのが國同士の「常識」で核兵器が最強の武器であるならば、誰も「持つてゐない状態」の時に核兵器を作らない方がをかしいのぢゃないか。と吾はさう思ふ。
平成18年05月28日
「大きいサイズのはいたので」と書かれてあるのを讀んで「大きいサイズの履いたので」と誤讀した。直ぐに誤讀であることには氣が付いた訣だが、なんか癪なので。
日本語は漢字假名交じり文なので「大きいサイズは居たので」となつてゐれば問題はない。句讀點を使つて「大きいサイズのは、いたので」としても誤讀はなくなる。併しだ。抑これが假名遣だと「大きいサイズのはゐたので」となる。これだと誤讀することはない。(但し、物に對して「ゐる」と云ふ表現を使はなかつたら、詰り「大きいサイズのはあるので」等にしてあれば文章としても問題が無くなる。)

2006年05月27日

平成18年05月27日
岡田英弘『歴史とはなにか』で語られてゐる物語とは價構の意味ではない。
平成18年05月27日
deblog - メンヘラーの教室

2006年05月26日

平成18年05月26日
日本語の「愛」は元來、敬語表現上の「上下關係」の、上から下へ向ふ矢印の内に示されるものであつた。

2006年05月25日

平成18年05月25日
申告漏れなんてのは、正直何うだっていゝんだよ。スキャンダルそれ自體には興味が沸かない。
平成18年05月25日
橋下徹のつぶやきダイアリー : 更なる怒り
笑つた、笑つた──半分位で飽きたけど。氣になつたのは助詞の遣ひ方、凄く不適切。いや、本人は勿論適切だと思つて書いてゐるのだらうけれども、御互ひ樣だろうと云ふか、云々。今更のやうに報道のいゝ加減さなんてものを言出してゐるけれども、つてことは「昨日」までは「信頼」してゐたつて事でしよや。

2006年05月24日

平成18年05月24日
間違つた認識を前提に置いた事による結論は、全て無意味な結論です。前提が間違ひであればどんな結論でも誤りだからです。ただ運良く別の問題の、亦は正しい認識による結論を導く際の、發想の切掛けにはなるかも知れません。併し、それらは何處まで行つても偶然の産物であり富籤に當つたやうなものです。
平成18年05月24日
「良い本ばかりに出逢ふ」と書いたが、何う考へても、良い本は印象に殘ると云ふ「マーフィーの法則」(?)染みたものを超えることはない。
平成18年05月24日
岡田英弘『歴史とはなにか』を讀んだ。最近良い本ばかりに出逢ふ、氣がする。氣が向いたら後で何か書くかも知れない。──56冊。

2006年05月23日

平成18年05月23日
「まう止めます。」と云ふ無意味な宣言。繰返される「これで最後にします。」。──粘着體質の現はれ、或は敗北宣言であると認識してをります。
平成18年05月23日
17日の記事を書いた次の日に話の本題を逸れた上「後を絶たない」人の仲間入りを果たした人が続出したのを見て、當事者には惡いけれども正直吹いた。

2006年05月22日

平成18年05月22日
「「何某万歳」な處への書込みは、考えれてみれば殆ど無意味であることに今更ながら氣附きました。今後は「何某」とは餘り關係のない處にゲリラ的に書込み、普通の人の間に於ける「何某」の評価を落とすことに致します。」
「評価を落とす」のは斯う云ふことを書いた本人だけなのだが、斯う云ふことを堂々と(?)書ける人間がこの事實に氣附くことはない。
平成18年05月22日
感想文。
「思ふ」や「考へる」は論文で書いてはならない、と云つたことを、昔、友人から聽いたことがある。をかしいことを云ふものだ等と考へながら聽いてゐた。入試用小論文の參考書に由つたらしい。類書をサッと見てみると、やたらと使ふものではない、と云ふ程度のことが書いてあつた。それはそれとして、よくもまあこんな物が賣れるものだと感心した。書いてあるのは、題材こそ込入つたものだが、作文の域を出たものがなかつた。肝心の解説は普遍性が無いもの許りで、これの例題に書かれてゐない題材がでたら「受驗者」氏は途方に暮れるんぢやないかと思つた。「書ける人」は元から必要がない。吾は書けない人だつたから、解つた積もりにはなつても、やはり解つてはゐないから文章が書けるに至らなかつた。多少なり參考になつたことがあるとすれば「推敲」である。尤もこの類の本に書かれてある「推敲」とは校正のことをさう「表現」してゐる。句讀點の付け方、送り假名の送り方、文體は常體を用ゐよ、云々は、大抵は校正レヴェルでの問題である。これは必要條件ではあるが十分條件ではない。それなのに、この程度の「解説」だけで例題作文の「解説」に移つてゐた。例題にあるやうな作文を讀む氣はさらさら(讀んでも仕方が)無いから切上げた。考へてみればこの「例題作文の解説」を讀み、何故だか「解つて仕舞ふ」人が居て、恐らくはそれで賣れてゐるのだらう。何ともおぞましい事のやうに思ふ。
平成18年05月22日
2冊讀了。──57冊。
平成18年05月22日
和泉宗章というある占い師のこと
平成18年05月22日
404 Blog Not Found:つま(づ|ず)く言葉
「つまづく」は假名遣で「つまずく」は「現代假名遣」です。なほ「現代假名遣」でも「つまづく」は許容されてをります。言海には「つまづき」の項は立つてゐますが「つまずき」の項はありません。吾は假名遣を遣ふものですので、心置きなく──「「ツマズク」より「ツマドゥク」の方が、「ツマヅキ感」はちょっと強い。」などと云ふ妙な言訣をせずに──「つまづく」を使用できます。(とは云つても書くのは「躓く」と書くでせうが。入力は「つまづく」です。)
言語學(語源)的に正當であるから、と云ふ理由で「つまづく」を採用することを御進めします。「複合語云々」は故事付けですし、「ツマドゥク」は私的に過ぎますので。
平成18年05月22日
昨日(5月21日)、相撲を觀終つてから「花見」の名目で五稜郭公園へ家族で(と云つても一人缺けてゐたけれども、)出掛けたのだが、案の定遲過ぎたやうで八重桜が殘つてゐる以外は散つた後だつた。祖母と母は、ほんの少しだけ散策してゐたけれど。弟等と合流し、目的を變更。ロープウェイにて凾館山へ登ることに。──凾館山へはロープウェイに乗るのが目的の半分。夜景は何度か見てゐる。祖母は車椅子を借りた。その爲だらう、臺彎だか支那だかからの團體觀光客とぶつかつたのだが、昇降時の夜景を良い處で見ることが出來た。山頂は多少肌寒い。薄曇りだつたので星が餘り出てをらず、「星空と夜景の對比」が見られなかつたのを祖母が殘念がつてゐた。
その歸り、金森倉庫の「ビアホール」で夜食。21時過ぎ頃。人が餘り入つてゐなかった。慥かに花見の時節は終つてはゐるが、寂れたふうが感じられた。あの味と量にしては値段が高い。まあ、觀光地なのでこんなものなのだらう。食べ終はつて、その後歸宅した。
平成18年05月22日
此の頃自動車から降りるとやたらと静電氣が走る。指先とかぢやなくて腕全體とかさう云ふ風に。

2006年05月20日

平成18年05月20日
日本では法治主義と云ふ大前提があつて、その上で民主主義を採用してゐる。法治主義國家以前に民主主義國家である式の發想は有り得ない。

2006年05月19日

平成18年05月19日
「御願ひ」をして相手が「御願ひ」を聽き入れなければならないのなら、それは御願ひではありません。言渡しと謂ひます。
平成18年05月19日
分裂勘違い君劇場 - 分裂勘違い君劇場が目指したものとその舞台裏
吾には fromdusktildawn 氏の試みが別段新しいものとは思はれない。スパイク師が既にやつてゐるからだ。或は意識的にやるといふことが新しい、と云ふかも知れない。でも、それは、パロディでありパロディは批判の一形態である。

 もう一つの教会には修道士のスパイク師がいる。あの教会の会衆はしばしば、彼の見解が目まぐるしく変わるように見えるので苦しんでいる。(中略)もちろんわれわれは、彼のそうした姿勢に一貫しているものを見て取っている。すなわち憎しみだ。スパイク師という男は自分の両親や両親の友人達にショックを与え、嘆かせ、困惑させ、あるいは辱めることを狙って説教しているようなもので、そうした人々が受けいれうるような説教は、彼らに理解できる韻文を彼が評価しないのと同様、彼にとって面白みをか欠いているのだ。

2006年05月18日

平成18年05月18日
吾は、小林よしのりや本多勝一のやうに「吾が云ふのだから、吾の言ふことは正しい。」とは云ひません。
平成18年05月18日
日本は立憲君主國だから、革命でもなければ共和制にはなりえない。

2006年05月17日

平成18年05月17日
「全ての甲は乙である」と云ふ判斷からは「或る甲は乙である」と云ふ判斷が間違ひなく導ける。しかし「或る甲は乙である」と云ふ判斷から「全ての甲は乙である」は必ずしも導けない。導けるのは「(全ての)甲の中には(或る)乙が含まれる」と云ふことだけだ。そりやさうだ、と云ふかも知れないが、大人でも間違ふ人が後を絶たない。
平成18年05月17日
「ブログ」の出自はオンライン上の「ネタ帳」にあります。「ブログ」のために「ネタ帳」なる物をわざわざ作るのは本末転倒と言へます。『普請紀』では記事を書く労の8割方を、ブレインストーミングやメモに費やしてゐまして、亦それを「讀める」と判斷した時點で順次公開してゐるに過ぎません。ですから、先に作文に慣れてきたと書いた訣です。ですから當然、慢性的な「ネタ不足」と云へる状態にあります。
平成18年05月17日
So-net blog:WHAT'S NEW PUSSYCAT!?:ブログなんざ続けなきゃいけんものでもない』なれど、保守はしなければならぬとぞ思ふ。──管理されてゐない掲示板や放置された「ブログ」も甚だ迷惑なものである。

2006年05月15日

平成18年05月15日
話し言葉で「ら」抜き言葉や「さ」入れ言葉、「ゐ(い)」抜き言葉を遣ふのは、遣はないに越したことはないけれども、許容されうる。然しながら、書き言葉でこれを用ゐるのは先づ慎むべきである。
平成18年05月15日
大相撲:おさるのジョージ
オリンピックをぢさんの觀戰態度は惡いのであるらしい。
平成18年05月15日
4冊購入。──62冊。

2006年05月14日

平成18年05月14日
荻野貞樹『ほんとうの敬語』を讀了。良書。他の敬語論で煙に巻かれた人も、敬語を敬遠してゐる人も、是非讀むと良い。簡單に本當の敬語が理解できるはずである。──58冊。

2006年05月13日

平成18年05月13日
「すべからく云々。」で終ってゐる文章は、須く「すべからく云々(である)べし。」に置換へて讀むべし。
平成18年05月13日
さうさう。OperaでSo-net blogの更新が出來るやうになってゐましたよ。何だったんでせう。
平成18年05月13日
※この配信は、日本文化の保存に関心あるだろうと思われる方のメールアドレス   を基に配信させていただいておりま
す。電子メールでのご紹介がご迷惑にあた   りましたら、謹んでお詫びいたします。
突然のメールにて失礼いたします。
日本の文化を保存する日本火消し保存会でございます。
一緒に尽力して頂けるよう、宜しくお願い申し上げます。
 
最高顧問:吉村作治(早稲田大学教授・エジプト考古学者)
   顧問:御法川法男(みのもんた・司会者)
   会長:典礼院照見(米国移民法コンサルタント)
  理事長:粉川時久(火消し粉川14代目)
 
このたび、日本火消し保存会では下記の懇親会をご案内致します。
             隅田川、花火、屋形船、芸者、火消し
                      ■平成の世に江戸情緒
「日本火消し保存会・夏の懇親会」 平成18年7月29日(土)
年に一度の隅田川花火大会では、数々の著名人を含む「日本火消し保存会」の役員をはじめ、江戸の「粋」を愛する会員
とファンが集い、屋形船を一艘貸し切って、花火を楽しみ交流を深める会を催します。(船内からテレビ中継予定)
■若干名の余裕があり今回は賛助会員でなくてもお申込みいただけます。
   詳しくは添付のファイルをご覧下さい。
   興味のある方は、お早めにお申し込み下さい。
★返信は受け取れません。
 
詳しくは下記からお問い合わせ、お申し込み下さい。
----------------------------------------------------
日本火消し保存会 
http://www.nihonhikeshihozonkai.org/news/index.html
info@nihonhikeshihozonkai.org
----------------------------------------------------  
こんなメールが來てゐました。
平成18年05月13日
以前より作文に慣れてきたらしい。取敢ず形にはなってゐる氣がする。
平成18年05月13日
1冊讀了。小説を讀むと讀書が速くなるやうな。ああ、今回讀終ったのは小説ぢゃないよ。──59冊。

2006年05月12日

平成18年05月12日
相撲に注ぐはずだったものの捌け口が見つからなくて、取敢ず書殴ってゐるだけなので讀まなくていゝです。
『平成18年05月12日』の附記を表示する。
平成18年05月12日
共謀罪に就いて。人権擁護法案と同じやうな結末になるだらう。成立しても大したことはないだらう。連中は騒ぎたいだけ。

2006年05月11日

平成18年05月11日
So-net blogに書込めない件、Operaで以下のえらーが出る。昨日までは出なかったのに、何うしてだらう。

セキュリティ接續: 致命的なエラー (810)

https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/

不正又は認證不能な證明書です

平成18年05月11日
So-net blogに書込めない。
平成18年05月11日
横審うぜえ。
平成18年05月11日
「4日目」録畫が20分くらゐ迄しか撮れてゐなかった。欝。
平成18年05月11日
中島敦の作品は、一氣に讀み通すのが好い。始めに讀むのは『名人傅』が宜しいかと思ふ。讀むのは難しからうと思ふなら、先づは聽いてみるといゝ
平成18年05月11日
「浮氣されたから浮氣する」──「同じ穴の狢」宣言と捉へてよいわけですね?
平成18年05月11日
僕の話を聞いてくれませんか?: 金のシルクハットおじちゃん
オリンピックおじさんのことですか?
平成18年05月11日
それあ可能性と言ったら幾らだってあるでせうよ。だからこそ妥當性と云ふものも考へなけりゃならんのです。或事柄に對して幾つかの解釋は有り得る。ただ、その解釋の中には「可能だが間違ってゐる」ものも含まれてゐる。大抵それは常識と云ふ側面からの判斷で否定されます。「常識を疑ふ」人に限ってその範疇で収まる話を稚兒しくしてゐて、時に滑稽なのは内緒ですから、迷惑だと言っておきます。

2006年05月10日

平成18年05月10日
と云ふか、抑DVDに焼いてゐる時間が無いのですよ。焼いたら焼いたでそれを保存する場所がないといふ……。本も、何故か溢れてゐます。

別記

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