漫録

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2006年04月30日

平成18年04月30日
吾は反動主義者だと思はれてゐるのだらうか……。
スポンサーサイト
平成18年04月30日
アンカテ(Uncategorizable Blog) - 「ギークの暴走」としての「本物のGoogle八分」
Google八分とはGoogle八分のページへリンクしているページを微妙にGoogle八分にすること
「微妙に」なんて書かなくても、「八分」なんだから「二分」は繋がってゐる。
平成18年04月30日
まう一冊讀終った。──54冊。

2006年04月29日

平成18年04月29日
漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?
副題が少しをかしい、歴史に關して時たま変なことを云ふ嫌ひがある、「次」が無い、などの缺點はある。しかし、日本人と漢字の關係を説くと云ふ目的は果たしてゐる。讀んで損はしない本だと思ふ。
平成18年04月29日
asahi.com: 政府、ウィニー対策ソフトを開発へ 実用化は不透明 - デジタル
政府が税金の無駄遣ひをしようとしてゐます。けれども、政府を攻めてはなりません。云々。
『平成18年04月29日』の附記を表示する。
平成18年04月29日
HTMLのclass属性やid(name含む)属性に於ける具體的な命名規則って何うなってゐるんでせう?
平成18年04月29日
「不可知の事態に備へる」と云ふ矛盾。
平成18年04月29日
RSSフィードの全文が配信されてゐないと讀むのが億劫になる。文章を讀まれる事が目的なのか、ウェブサイトなり何なりに「來て」貰ふ事が目的なのか。

2006年04月28日

平成18年04月28日
姉歯氏と堀江氏の報道が屡重なる件について。
平成18年04月28日
「自由になる」と云ふことから自由になれてゐない人たちが居るらしい。──「自由」に魅せられた人には、この文章が「バカの壁」に阻まれて見えないのだよな。不毛。
平成18年04月28日
「格差の無い社會」の實現──衆愚政治を具現化したら然うなります。きっと、「格差の無い社會」を實現しようとしてゐる人は、衆愚政治を目指してゐるんです。勿論さう言ふ主張をするくらゐですから為政者側として、です。──居るんですかね、今の時代に「格差の無い社會」を本氣で信じる人って。
平成18年04月28日
まどみちお『ほどうきょう』と云ふ詩の、内容から題名を當てると云ふのは國語の問題と云ふよりも、謎々と言った方が適當である。
平成18年04月28日
東大寺は佛教寺院ぢゃなかったっけ? 「東大寺の用具」って佛具のことですよね?

2006年04月27日

平成18年04月27日
ツバメ - Google 検索
ツバメ - Wikipedia

10月ごろに南の越冬地に旅立つ。日本で繁殖するツバメの主な越冬地は台湾、フィリピン、ボルネオ島北部、マレー半島、ジャワ島などである。一部のツバメは関東を北限として西日本各地で集団で民家の家内や軒下にねぐらをつくり越冬することが知られている。これらの越冬ツバメの中にはシベリアなど日本より北方で夏に繁殖し日本で冬を越す冬鳥のツバメもいると考えられている。渡りや越冬については不明点がいまだに多い。

今日燕が飛んでゐて、何處から來るかを問はれて答へられなんだので。
『平成18年04月27日』の附記を表示する。

2006年04月26日

平成18年04月26日
1冊讀了。二三氣になる事があるけれども、挙足取りと云はれさうなので書かない。──55冊。
平成18年04月26日
2冊買った。増えるばかりで減らないよ。──56冊。

2006年04月25日

平成18年04月25日
XHTMLはXMLアプリケーションなのだから、手打ちは「正しくない」筈。HTMLをXMLに準拠させただけだから出來ないことも無いけれど。
平成18年04月25日
「偽善」と云はれようが、吾は止めない。
FMHPGの歩き方

間違いに気付き、それを指摘する人は、善意でやっているのです。誤りを指摘する側は正しい知識を持っていますから、指摘しないことによって不利益を受けたりはしません。無理に指摘しなくても良いのです。「また嘘を教えているな」と鼻で笑い飛ばし、そのまま放置することも出来るのです。それでも指摘するのは何故でしょうか。

それは、嘘を教えられる人が、嘘を信じ込んでしまう人が気の毒だからです。多くの人に正しい情報を知ってもらいたいからこそ、わざわざ時間を割いて発言を書き、指摘するのです。

平成18年04月25日
つらひ
「辛い日々の略」
(突っ込み不許可。)
ださうである。
平成18年04月25日
常識と、「一般的な常識」とは分くべき。
平成18年04月25日
日曜日の會話。
……
莫迦だなあ、おまえ。
末弟
俺バカァ?
うん、莫迦。
末弟
何でバカって云ふのさ。
理由があって莫迦だと言ってゐるんだよ。
末弟
なんてさ。
始めから説明しやうか? まづこの場合、斯々…
末弟(耳を塞いで)
あーーーーー、あーーーーー、
…然……。

この手の反應は、末弟に限らない。

2006年04月24日

平成18年04月24日
「誰か、何かに言及してゐる云々」と書いた次の日の記事が思ひ付きである件。
平成18年04月24日
「根無し草」でありたくないから、吾は御先祖樣も有權者だと信じてゐる。
平成18年04月24日
彼我で、或る語の、語義の認識に差があるのは當然のことである。相手の、語義の認識を勝手に決めて、それを「斬って」見せるのは大根役者のすることである。
平成18年04月24日
或る事柄甲を、非現實的に定義しておいて、現實に則してゐないから間違ひであると斷ずるのは何うかしてゐる。
平成18年04月24日
何でもかんでも徒疑ふのなら莫迦でもできる。ユークリッド幾何學と云ふ「文脈」で話を進めてゐるときに「1 + 1 = 2」は疑ふべき事柄ではない。
平成18年04月24日
「文脈」に従ふことなく常識を「疑ってみせる」ことをするのは、「自爆テロ」である。相手にものを言はせない為の詭辯である。

2006年04月23日

平成18年04月23日
何のことを書いてゐるのか判らない記事は、取敢ず誰か或は何かに言及してゐるものと考へて貰って差し支へありません。自分でも誰に或は何に言及したのか忘れてゐることもありますが、その程度のことしか書いてゐないはずなので讀飛ばして下さい。
平成18年04月23日
FC2 Blogの管理畫面がAjaxに對應した。機能を「オン」にして記事を更新すると多重投稿になる。2回投稿して孰れも多重投稿になった。迷惑だから、吾は此の機能を使はない。

2006年04月22日

平成18年04月22日
お知らせは、別の記事にした方が良いと思ひます。

2006年04月21日

平成18年04月21日
正義は相對的である。だから、正義を信じない。
正義は相對的である。だから、より良い正義を取る。
平成18年04月21日
憎まれっ子世に憚る──日本の政治が目指すべき態度。
平成18年04月21日
「●司」「☆司」ぢゃなくて、「ヨウ司」「よう司」にして、「ヨウは云々」の註釋を附ければ「まだ、増し」。「●(黒星)」なんて、嫌みでしかない。
平成18年04月21日
長時間煙草の煙が充満する空間にゐたので鼻腔が爛れてゐる。2日経ったが未だ直らない。
平成18年04月21日
MSN-Mainichi INTERACTIVE 憂楽帳
なんだか、mannersとetiquetteの區別がついてゐないやうな気がするのだけれども。公への氣配りがmannersで、個への氣配りがetiquette。エスカレータで片側に寄るのは、mannersなのだと思ふ。「周りへの配慮を欠く歩行者」は、迷惑するのが個々人なのでetiquetteの範疇だらう。「一人」用のエスカレータで追越さうとするのはmannersが身に付いてゐない人。「人の渋滞」を起こしてゐるのは日本人の習性に據る。「呪縛」を逃れられないのだから、山本武史は「同罪」。また、「渋滞」してゐるにも關はらず階段を使はないのは横着のなせる業。吾はエスカレータが「使へない」時には好んで階段を使ふから、そんなことで一々不満を覺えることがない。
『平成18年04月21日』の附記を表示する。

2006年04月20日

平成18年04月20日
『Archeology of "spam"』
迷惑行為を示す「スパム」の綴りは、大文字のSPAMではなく、小文字のspamが「正しい」のだと。

2006年04月19日

平成18年04月19日
ユダヤ問題特集

2006年04月17日

平成18年04月17日
アイヌ神謠集
平成18年04月17日
洋服を買ひに行くと熟々思ふのだが、日本人に洋服は似合はない。客である小父さん・小母さんを見ると、特にさう思ふ。今の處、感覺的にさう思はれるだけなので反論不要。
平成18年04月17日
10冊購入。11冊買ったのだが、1冊は既に購入済みの本(『私の幸福論』)だから、數には入れてゐない。さて、次は何を讀むべか。──54冊。
平成18年04月17日
昨日は雪が降った。今季最後の雪だらう。──希望的觀測ですが。
平成18年04月16日
『西日本スポーツ / スポーツ速報』
「断髪式で140人がはさみ 元幕内の☆司」「(注)☆は火へんに華」
伏字かと思ったら、違ふらしい。
斯ういふ書き方は、紛らはしい。第一、當の司親方に甚だ失禮な對應である。何處の誰が書いたかは知らないが、全國に同じ記事が載ってゐるあたり共同通信あたりであらうか。まぁ何處にしても噴飯ものである事は変はらない。好角家ならば須く瞋恚の炎を燃すべきである。記者子は角界に泥を塗ったに等しい。好角家ならずとも記者子を糺さずにをれるだらうか。記者子は、「言論の自由」を放棄し、權に阿ってゐるのである。

2006年04月16日

平成18年04月16日
手書きで文章を書くとき、假名遣を「現代仮名遣」に翻譯してゐる吾がゐる。
平成18年04月16日
『私の幸福論』を途中に挟んだので順番が逆になった本を讀了。──44冊。

2006年04月15日

平成18年04月14日
鼻の中を蟲(たぶん蚊)に刺された。家の中に蚊はゐる。潰せたので、飛蚊症ではない。

2006年04月14日

平成18年04月14日
推敲不足の訂正。だいたい、「政治的である」事を指摘してゐるのだから、文脈からして合はない。欝。「集団に對して道義的責任を問ふ事は、道徳の越権行為である。」は間違ひ。政治の領域に道徳を持ってきてゐるのだから、越権してゐるのは道徳ではなく政治の方

2006年04月12日

平成18年04月12日
春 雷
霊異記ですよね?
平成18年04月12日
集団に對して道義的責任なんて問ふはうがをかしい。道義的責任を問へるのは、一個人に對してだけだ。集団に對して道義的責任を問ふ事は、道徳の越権行為である。集団には政治的責任しか問へない。個人は集団に属すから政治的、道義的、双方の責任を問はれる事もあり得るが、これは飽くまで本人にしかできない。喩へ本人以外の者が「彼」の道義的責任を詫びたとしても、それは偽善に他ならない。偽善は最も反道徳的な行為の一である。
何と云ふか、妨碍したり、風説を流して吾人の評価を下げやうとする者がゐるなら、それに抗って評価を上げる様な事をすればよいのでは? 吾なら然うしようするとだらう。否、然うすべきであると信ずる。
──吾は日本人だから、政教分離を本質的には理解し得ない。けれども、一往「上っ面」の極々僅かなところを理解をしたところで斯う言ふ結論が出せたと云ふ話。
平成18年04月12日
って言ふか、「権力者の自由は剥奪すべき」と云ふ「と」な発言が出來るのだから、日本は十分自由な國だと思ふ。

2006年04月11日

平成18年04月11日
小5から英語を必修化 中教審部会が提言

國語改革は、教へるのが大変だから國語の方を簡單にしようと、行はれた。教へ方ではなく、言語そのものを変へやうとした國語改革は中途半端な悪果を殘すに終り、國語の破壊を招いた。さて、この提言はといふと──英語のはうは簡單にできない。だから、小學のはうへ「おっ被せやう」としてゐるだけではないだらうか。自らの教へ方を工夫することがないのは同等である。

どだい授業時間をいくら延ばしたところで、その教科ができるやうになるわけではないのだが、そこからして履き違へてゐるのだらう。或は連中、樂をしたくて堪らないらしい。同じ穴の狢である。

英語に触れてゐると云っても、所詮遊びぢゃないか。わざわざ必修化する必要がどこにあらう。授業中に遊べと云ふのか。否、話は逆で、小學時分に英語に慣れさせるのを否定するものではない。「遊び」のままで良いのだ。「遊び」だから受け入れてゐる。必修化してしまふと、児童は「構へる」だらう。必修化するからには、到達させるべき目標が教師に課せられるだらう。さうしないと必修化する意味がないからだが、その為に教師は氣負ふだらう。教師の氣負ひは児童のはうも察する、それでは意味がない。低年齢での英語教育の目的は、「構へる」前に英語を日常のこととする点にあるのだから。


今の英語教育は、小學の「国語教育」を修了してゐる事を前提に組み上げられてゐる。英語のカリキュラム全體を大幅に変更しなければ「使へない」。「使へる」やうにするには、「小學生用」のカリキュラムを新たに作成する必要があり、さらに「中學英語」には「小學英語」を履修してゐるといふ前提を付け加へる必要がある。無論「高校英語」にもである。英語學習だけではない。小學5年に必修化すると云ふならば、小學4年までの國語教育のをも手を加へなければをかしい。──「部會」が何処まで樂觀視してゐるか、判らうと云ふものだ。或は、英語教育だけが國際化教育、と中の人が取り違へてゐるのだらう。だから、易々と提言できるのだ。

──思ふのだが、此処までする必要がある必修化は効するだらうか。と言ふか、此処まで出來るのなら教育法を工夫することは可能である。先づはそれからぢゃないか。それでも無理であったならば、改めて検討するが良いのである。いやいや、必修化の過程に、教育法の改善が既に含まれてゐる筈なのだ。ものには順序と言ふものがある。順序の先を見て、そこしか見ないのは手落ちと言ふほかあるまい。「部會」は結局、自らの怠慢と無能を晒したにすぎない。例ひ必修化が成ったとて、教へるはうがその儘ならば現状が変はるわけはない。変はらないなら、無駄である。多學年、他教科への皴寄せがある分、學力低下は推し進むことだらう。必修化よりも、先に変るべきがあるのぢゃないか。

『平成18年04月11日』の附記を表示する。
平成18年04月11日
なんたって、まともに歌詞を覚えてゐて、最後まで歌へる曲が『君が代』しかないんでね。なくなったら困るわけですよ。

別記

りそーすの情報
広告
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。